2021/01/02(6)23:57 |

少年トレチア(津原泰水)

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安倍がインチキな政権投げ出しの猿芝居をしてたころ、Twitterでこの津原泰水さんがかなりまっとうなことを言っていた。そうした言説についてアホな読者が「津原泰水って小説は面白いのにニュースコメントとかはなんでこう左巻きなんだ」って言っていて、そうかそういうアホにも面白い小説を書くのかという興味がわき、『怪奇譚』を読んだ。主題とかいったものにはさほど興味を惹かれなかったのだが、しかしなにせその文体というか筆致の確実さにびっくりした。この人は少なくともちゃんとした文学者だなと思わせられた。こんな硬派な言葉遣いをできる小説家って日本に今どのくらいいるんだろ?
で、引き続きこの『少年トレチア』を先日読了した。
私の趣味的には、最後あたりのカタストロフィー=大地震はあまり好きではない。物語上の矛盾、小説上の矛盾、さまざまな矛盾が全部押し流されてしまう感じ。次世代トレチアの兆しはちゃんと書かれていてそれは良かったと思うけど、それ以前にそこまでにあちこちに萌芽し育ちかかっていた物語の行く末を地震なしできっちり書ききって欲しかったようにも思う。人物やエピソードが相当に魅力的な分、半端に切られてしまうのがもったいなさすぎる。
とはいえ、それはもちろん無いものねだりだし、そんな風にあちこち平仄を合わせてしまってはこの小説の怒涛のようなイメージや物語の欠片の散乱が作り出すカオス、饗宴をそこなうことにもなりかねない、と思ってはいる。そしてその「半端な切り方」にこそ作者の底意がありそうではあるのだが。
ダウジングとカマラ。この二点は知識としてとても興味深かった。

2020/12/15(2)10:01 |

JR上野駅公園口(柳美里)

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上野駅公園口の風景を立体的に描こうとしているその志は支持できるし、実際に面白いところもある。
けど、全体的には感心できない。作家としての力=想像力不足。自分が見たものしか見えてない。のにホームレスの見たものとして書いている。だからホームレスが文学少女と同じ世界を見ているような印象になりリアリティも何もあったもんじゃない。そりゃあいつだって作家は自分の見たものを書くんだろうけど、その自己撞着、自分というものを乗り越える飛翔の力、他人の目をおのが目として見る力、憑依する力が決定的に不足している、ということ。
貧しいこと、生活に困窮していること、それは何が悪なのか? 心を破壊していくから、じゃないのか。主人公のように想像力ゆたかで平明に世界を風景を眺められる余裕があるのなら、全然問題ないじゃん、となっちゃう。
人称にも問題がある、と思う。一人称で書いていくと、作者が見たものを主人公は見ることができない、ということが書けない。憑依の力不足と同時に自分に見えているものを他人が見えていないということについての認識不足。
末尾にたくさんの参考文献が載っている。勉強熱心だなと思い、そして勉強報告みたいな小説になってるなと気づく。ホームレスの心性に迫ろう、そしてそれを天皇との関わりの中で捉えようとする意思はあるのに、参考文献の中に『無知の涙』が無い。その「勉強」のしかたにも問題があるのではと思えてくる。

2020/12/15(2)00:30 |

笑う男(ヘニング・マンケル)

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北欧のミステリーが好き。これはスウェーデンのミステリー小説、刑事ヴァランダーシリーズ、第4作。
北欧ミステリーは人の心の痛みを見つめる。訳者をはじめ紹介者ががんばっているんだとも思う。
ヘニング・マンケル、スティーグ・ラーソン(→ダヴィド・ラーゲルクランツ)の『ミレニアム』シリーズ(その1は映画『ドラゴン・タトゥーの女』になってる)、アーナルデュル・インドリダソン。TVドラマの『キリング』(これ小説はまだ読んでない)、同じくTVドラマ『ブリッジ』。
あ、この刑事ヴァランダーシリーズもTVドラマになってる。小説とそれにもとづいたドラマがある場合、えてしてドラマにするにあたって加えられたストーリーの変更やキャストのキャラクターがイメージに合わなかったりといったことががっかりに結びつくことが多いが、ヴァランダーシリーズに限ってはそれが邪魔にならない。ドラマもなかなかよくできている、ということかと。
全然本の感想でもなんでもないな。。。

2020/11/30(1)18:49 |

観察力を磨く 名画読解(エイミー・E・ハーマン)

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なんでこれを読もうと思ったんだったか忘れてしまった。
期待していたよりも「名画読解」部分が少ない。
「観察」「分析」「伝達」といった認識とコミュニケーションについての一般的な「心構え」みたいな。コミュニケーションを円滑にするには、見たものをできるだけ自分の感情を交えずに事実だけを語るようにするとか、そのためには日頃の訓練や心構えが必要だとか、こういう言い方より別のこの言い方の方が反感を招かない、とか。いわゆる認識とコミュニケーションのハウツーもの?と割り切ればいいのかな?
アートに関わることで面白かったのは、ミケランジェロ『ダビデ像』が見る角度によって全然違って見えるって話。現在陳列されている正面から見ると「力の抜けた感じや、優美さやおだやかさ」がたしかに感じられるが、像の顔の正面から見るとむしろ「攻撃性」とか「悪意」とかが立って見える。「コンピュータで全周から解析した結果、表情に比例して全身の筋肉も張りつめていることが判明した。フィレンツェ大学の解剖学教授らは、この像のあらゆる特徴は『恐れと緊張と攻撃性を表現している』と断言した」と。現状の正面が作者の意図通りかどうかについて議論があるという。。。面白い。
あ、そうそう。
これ ↓ 
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と、これ ↓
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の同じところと違うところを列挙せよ、という課題はなかなか味わい深いものがある。
他にも
…プロジェクトの計画を練るときは、「欠けている視点」から分析するように勧めている。「このプロジェクトに必要ないのは誰か。何を除外すべきか。どちらに向かうべきでないか。いつ、やるべきでないか」というように…
といったあたりはちょっと自分もやってることだなと思えたり。
まぁまぁ、そんなところ。

2020/11/25(3)22:01 |

コロナと生きる(内田樹 岩田健太郎)

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うん、まぁ、面白かった。んだけど、いま私が一番聞きたいというか考えたいこととはいまひとつクロスしなかった、という。

岩田 (熊本益城町の地震避難所で)「この密集状態を放置していたら、感染症が蔓延して危ないです。福岡あたりのホテルに半分ぐらいの人を移動させましょう」と提言したんです。どうせ、地震のあとでホテルはガラガラですからね。人が半分になれば、避難所のスペースも空くので感染リスクは大幅に減ります。でも県庁の人は「そんなのできるわけないですよ」と言って怒るんです。
内田 半分だけ移動するのがダメなんですか。
岩田 そうです。「『一部の人だけホテルに行くのは許せない』という人が必ず出てくる」って言うんです。僕が「半分がホテルに行けば、残っている人たちもスペースに余裕ができて、みんなが得するんですよ」と言っても、認められなかった。「自分以外の誰かが得するなら、みんなで損をしたほうがマシだ」と考えるんですね。
これって、ダイヤモンド・プリンセス号でも起きたことなんです。3500人がクルーズ船にはいたわけですが、ウイルス感染を広げないために、「100人でも200人でも下船させよう」と提言しても、「全員が一斉に下船できないなら認められない」と言って却下されました。
内田 誰かが「いい思い」をしているように見えると、激しい嫉妬と増悪が渦巻くというのは、今の日本社会の際立った特性ですね。

とまぁ、そんな調子で感染パニックがこの国のメンタリティの貧困さをあぶり出す、というわけ。そらそうだろね。だから「感染症対策として、一番いいのは『ばらける』ことなんですね。できるだけ『みんながしていること』はしない、というのがいい」(内田)というメンタリティ変更のススメという話にもなるんだけど、そんなこと言われてもこの国の規模というか人の日々の「選択肢の貧困さ」でいうたらばらけた先ではまた「ばらけようとしてるたくさんの人」でごったがえしてるんじゃねーの?という気もするね。
別の側面から言えば、ライブハウスや小劇場みたいなさ、小さな集まりをどう評価するかという視点が弱いよね、ということにもなる。

2020/11/22(7)20:21 |

偽りの戦後日本(カレル・ヴァン・ウォルフレン 白井聡)

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どうなんすかね。永続敗戦論がかなーり面白かったので期待しすぎたかな。
二人の立場性の違いが鮮明になるというよりは歩み寄る?ことで、共通の結論に辿り着こうとしているのかな。話がすすーって薄く流れていくような感じ。
そんなのいいから、路線をきっちり議論してケンカ別れでもなんでもしたらいいんじゃないのか。
それはそれとして、
白井 (…)「アメリカは日本を愛してくれている。だからひどいことをするはずもない」という妄想があるのです。そう考えると、日本ほどアメリカの植民地政策が成功した国はない。
あー、なるほどねー、そういうのあるねー。完全なる奴隷ですな。アメリカにいちばん従属的なのがナショナリスト? いや右翼? いや、そんなのナショナリストでも右翼でもないよね。まじでただの豚。ほんと恥ずかしいお国柄だ。

2020/11/13(5)18:29 |

スティーヴン・クレイン『勇気の赤い勲章』

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以前読んだ『掃除婦のための手引き書』(ルシア・ベルリン)の中で、引用、というか主人公が勧めていた本。

面白かった。戦争文学だけど反戦文学とか英雄譚とかそういうものではなく、戦場での一兵卒の心理を追ったもの、とでもいうか。その冷徹な心理分析的な視線が興味深い。ブレヒトの異化効果って、案外こういった「自然主義文学」(っての?)と親しいと思える。
また、意外に色彩感覚が立っていて、血の赤、制服の青や灰色や紫、旗、暗闇やそこを走る閃光など印象に残る。

2020/08/18(2)18:30 |

栗原康『死してなお踊れ 一遍上人伝』

文体嫌いと書いておいて同筆者二冊目。だって一度に買ったから。。。
こちらの著作の方が、一遍上人という具体的な素材がある分おさえが効いてよかったかなー。
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一遍上人の踊り念仏の変遷の中、あまり筆者が気に留めていない点でわたしが興味深かったのは、(自然発生的な?)場所を選ばない行為だったものが、次第に小屋を立てて(!)そこでやるようになっていくところだった。それ(踊り念仏)をする人/見る人が区別され空間的に(舞台と客席に)分けられるようになっていった(ように見受けられる)のだ。時衆という「踊りて」(演者)と、それを拝みに来ている(そして唱和する)観衆が発生する。観衆が踊り念仏に加わることもあったしそれが最高形態と思われていたのかもしれないが、演者は観客参加ありきで行為しているのではなく、観客参加にさきだち、それを先導し誘発させ、あるいは観客参加なくても成立させるべく踊っていたのではないだろうか。踊り方とか楽器の使い方とか、そういうものにも一定の流儀?方法?が見いだされてきたらしいとも書かれている。
行為者にあるトランス状態を作り出すことが求められ、さらにはそれを効果的に初見の者にも伝搬させることが目指され、それをたまに成功するのではなくできるだけ安定的に提供しようとすると、おのずと一定の劇場形式やコンテンツ成立の肝が見いだされていく、という流れだと想像される。
本書ではそのような視点では詳しくは書かれないのだが、芸能のはじまりの一つの流れ(村祭り系ではなく、マレビトによる供犠系)にマーキングされる事柄だと思われるのだった。
この件については、一遍聖絵という国宝の絵巻があるとのことで、これをぜひ見てみたい。
ちょっとこれはわたしたちの表現を考えるときのキーになるかもしれない、ヒントになるかもしれない何事か。。。かも?
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あと、筆者が一遍に興味を持ったのが、京都・六波羅蜜寺にある空也像だそうで、これ自身は有名だよね。ネット上の写真とかで見てもなかなか見応えがある。普通に入館料はらえば見られるらしい。ぜひホンモノを見てみたい。
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そんなことで、長渕ファンの栗原くんありがとう。くさしてごめん。
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2020/08/18(2)10:05 |

栗原康『アナキズム 一丸となってバラバラに生きろ』

この文体は好き嫌いが分かれるだろね。私は嫌い。本の終わりごろに筆者が長渕ファンだってのがわかって、なんつーか底が割れたなぁというか(笑)。根っこのところで好きになれないっぽいのはこのへんのセンスかと。
でもこの本はむちゃくちゃ面白いところもある。特に、「(似非?)エコロジー」への批判的な目は相当に確かだと思う。
人間が自然を支配して、その資源をいくらつかってもいいんだとか、自分の利益のために動員していいんだとかっていうその発想の根っこには、人間による人間の支配があるわけさ。
(…)
人間ってのは奴隷制になれてくると、それがあたりまえだとおもうようになってきて、だんだん、それが自然なことだとかいいはじめるってことだ。気づけば、もじどおりの自然にもおなじ論理をあてはめはじめている。(…)資源の有効利用だ。自然の支配は、人間による人間の支配からうまれている。
でさ、この指摘がだいじなのは、環境破壊にたちむかうぞっていうひとたちが「自然」ってことばをもちだすとき、けっきょく、それを資源としてあつかってしまいがちだということだ、人間がコントロールできるものだって考えがちだということだ。
自然への支配の思想の根っこに人間の支配、奴隷制があるということ。「自然」という言葉の中にすでに奴隷制が潜んでいることだってある、あるいは奴隷制は「自然」という言葉をその隠れ蓑にする、、、という指摘はたいへん鋭いと思う。もちろんこれは筆者がはじめて言ったことではないんだけど、いまよくそれを掘り起こして言ってくれたなぁと。

2020/07/23(4)10:34 |

『内側の時間』PDF化

体重45.8kg。一昨日二食抜いたからなぁ。
『内側の時間』という私(たち)にとって大切な本がある。この本は絶版していて復刊ドットコムで復刊運動とかしているんだけど、賛同者も増えていく気配もないし、そもそも出版社もいまあるかどうか。作者もその後執筆活動しているという風聞もない。つまり復刊は難しそう。
で、自炊業者に依頼してPDF化を進行していたのが、昨日納品された。
1)文章ページを読みやすくするためにモノクロ二階調でやってもらった。写真ページは全然使えない。写真だけで構成されている70頁ほどは自力でグレースケールスキャンせざるをえない。これは半ば予想されていたことではあって、わざわざスキャン後の本(ページごとにバラバラに断裁された状態)を返却してくれる業者を選んだのだった。
2)基本は右開きの縦書き日本語の本なのに、スキャンはまったくの逆順でされている。最終頁からはじまるPDFになっているということ。これは文句をいってやり直してもらってもいいのだが、自力ですでにAcrobatで全ページ反転できたのでいいことにする。
3)元の本の構成が奇妙な仕様で、日本語の文章が右開き(縦書き)で終わりまですすむと奥付がある。読者はそこで本の上下をひっくりかえし、今度は左開きの本として続きの写真ページを見ていく仕様となっている。その必然性はあまりわからないのだが、ともあれPDFでは本の途中から右開き左開きが変更することはPDFの仕様上できない。ので、左開き以降は「見開きで読む」ことは想定せず、本来のノンブル通りの並びでページの上下を反転させることにする。
という課題がある。これらをクリアしたら友人限定で公開できるかな。

2020/06/22(1)10:38 |

新宿鮫 風化水脈/大沢在昌

病棟の文庫で読んだ。
面白かった。大沢在昌に間違いなし。
過去にも何冊か読んでいてどれも外れたことはない印象だが、それがなんというタイトルだったのかは覚えがない。
今回、意外にも髙村薫と文体?わからんけどどっかが似ている、と思った。
場所についての克明な取材とか、かなぁ。今作は新宿の成立の歴史、現在へと結んでいく街の表情とでもいうもの、興味深かった。
内面の掘り下げについては大沢は髙村にはるかにおよばないけど、たとえば桜木紫乃には比肩して十分に楽しめるし説得力もある。また、そのほどほどの深度が読みやすさ気楽さに通じているというのもある。


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2020/06/18(4)19:37 |

遅いインターネット/宇野常寛

着眼点はそれなりに面白いところもあるんだけど、なんつーか、議論がひたすら、雑!
雑の一言で終わっちゃうのはそれ自身もっと雑だけど、わたしはいいんだ、物書きじゃないんだもの。
思想を扱う物書きだったらそれぞれの歴史・思想・思想家についてもそっと勉強してから一般読者=私に何か言ってほしかった。発想勝負なら私だってそれなりに勝負できるかもしれないよ。全然教養ない私に、教養ないことがバレちゃう物書きってどう考えても出直してきて欲しいのさ。
映画の時代→TVの時代→インターネットの時代→??
とかって書いているんだけど、まぁちょっと時代の特徴を拾ってみたらそういうこともあるのかなとは思いながら、でもそうした時代ごとの先進的?特徴的?なメディアが同時にその時々の世界の支配的な役割を果たしている、という発想自身がもとより「ちゃらいなぁ」と思うんだ。たった一つの例を書いたけど、一事が万事こうした雑な議論に満ちている。世界は君の考えているよりももう少し複雑なのよ坊や、って年増のおばさんみたいな物言いになっちゃう。君みたいなちゃらい兄ちゃんが思想家?評論家?づらして登場して我が物顔に本書いたりする、そんな劣化した時代になっちゃってんだよぉ。そうか。「遅いインターネット」ってのは何よりも作者のために必要だと思うよ、私は。うん、だからうまくいくといいなと思うよ。
あ、ただね、先に評論家って書いたけどこの人自分でも書いている履歴的なものを見るとけっこう実践家ではあるようなんだよね。議論は超・雑だけど、その雑な理屈をぶりぶり振り回しながら妙なことをやっているらしいそのこと自身は面白い、、、少なくとも微笑ましいものかもしれないなとは思う。
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2011/10/27(4)13:11 |

佐々木敦『即興の解体/懐胎』

即興の解体/懐胎 演奏と演劇のアポリア [単行本] / 佐々木敦 (著); 青土社 (刊)
まだ途中。
読みやすいとはいえん。タフ。
が、おもしろい。
ここらへん、いずれはちゃんと考えなくちゃいけないなぁと思っていたことを考えてくれている。
ありがたい。

2010/02/11(4)10:54 |

『太陽を曳く馬』(高村薫)より引用

「それはまさに足跡そのもので,ほんの少し前に君がそこにいたことを数秒遅れて私が知るのです。一寸ハッとするような,気が急くような,何かを失ったような心地とともに,そのとき私が見ていたのは,数秒前にあっていまは無い何者かの存在--否,在ろうが無かろうが,正確にはふだんの身体感覚にふいに触れてくる他者という異物であり,それによって新たになる私自身の存在の感覚だったというべきでしょうか。
 この眼に見えること,耳に聞こえること,身体に感じられることが直に運んでくる世界や他者の,こうした唐突な立ち現れは,何より私に,この私がいまここに在ることを知らせるものです。」
新仮名遣いに変更している。
| 鹿児島 🌁

2008/11/08(6)16:15 |

東野圭吾どうよ

鹿児島旅行中に観た映画「容疑者Xの献身」が意外におもしろく、原作者東野圭吾の小説を3本立て続けに読んだ。「容疑者Xの献身」「悪意」「同級生」。
≫続きを読む
| 埼玉 ☁

2008/02/26(2)00:21 |

ドストエフスキー・シリーズ

『カラマーゾフの兄弟』を最初に読んだら面白かった。
意外にも,いろんなほころび,決着がつかずにほったらかしされている事柄が多くあるように思え,そこがなにより面白かった。出てくる言葉も唸らせるものが少なくない。全体を貫く一種の透徹さが肌に合う。
『カラマーゾフ』の話を五月さんにしていたら「『ジョバンニの部屋』みたい」と言われて,そー言われればその通りだと思い『ジョバンニの部屋』(これはボールドウィン)を再読した。これは,10年くらい前かなりショックを受けた本(芝居にも引用したことがある)だが,最初に読んだときとはまた違った感想を持った。これはまたいずれ。
次に『悪霊』にかかったが主人公に興味を持てずに上巻の半分ほどで放棄した。
次に『罪と罰』を読んだらそこそこに。これはもっと若いときに読んだらよかったかなぁ。
ドストエフスキー・シリーズってことだと次は『白痴』ですかね…。
しかしひとことに神っていったっていろいろあるだろうにドストエフスキーにしてみればキリスト教の神以外は考察の対象にすらなりえない。
ほんとに西洋の人はご苦労なことだよ。
ラベル:ネタ
| 埼玉 ☀

2006/09/26(2)22:43 |

いしいしんじ『ぶらんこ乗り』

ぶらんこ乗りこれはよかった手(チョキ)
甘いといえば甘いし,ちょっと盛り込み過ぎなのが気になるけど,それでも子供の抱えている孤独や恐怖がよく書けていると思う。このあたりのセンスが「プラネタリウムのふたご」では見えなくなってる。それはなぜ?
動物をめぐるエピソードはなかなか興味深いっす。ペットとしての動物でなくて,異生物としての理解不能な感じが出てて。
せっかくなので「麦踏みクーツェ」も読むか。
ブログも有名らしいが怖くて見てない。
| 埼玉 ☔

2006/09/18(1)17:12 |

いしいしんじ『プラネタリウムのふたご』

プラネタリウムのふたご物語の作り手としては上手い。
物語の中,大きな事件は起こっているのに,(わたしには)なにかがかったるい。なにかが退屈。鎮守の森みたいのが破壊されるとかっていう社会的危機もあるのだが,ナントナク回避されていく。末梢神経的に迫り上げるということをたぶん意識的に避けているんだろうと思う。
痛みがぼやけていて,宇宙の時間を俯瞰したノンビリ感が立つ。
これは好き嫌いの問題だけど,わたしとしては鋭い痛みを持ったものの方が。…これは実存主義の弊害かな。≫次の版で直して欲しい
| 埼玉 ☔

2006/06/10(6)12:38 |

肩胛骨は翼のなごり

肩胛骨は翼のなごり肩胛骨は翼のなごり/デイヴィッド・アーモンド
となりのトトロ。読ませるし,悪くはない。けど,軽い。
訳者あとがきによるとマルケスにも影響を受けている作家だというのだが,それを読んじゃうとますますこの汚い,さえない天使というネタがかすんで見える。マルケスの短編に出てくる天使そっくりだし,しかしマルケスのとは違って人間の言葉をしゃべったり中華料理が好物だったり子供と踊ったりして俗っぽいんだよねぇ。
おっさんの天使の背中,翼のあるあたり(肩胛骨)を子供が触るシーンがあるんだけど,なんかあっさり流されてる。このときの緊張,恐怖感を意識的に薄めているのか,それとも作者がそのことを想像できないのか。
「人間に似ていてしかし別の生物」というものの不気味さ,理解不能みたいのを無視してしまっちゃなぁ。それが子供の本の条件…と作者は考えてる?
| 埼玉 ☔

2006/02/14(2)03:02 |

高村薫『新リア王』

新リア王原子力がらみの青森の歴史や,若い世代の政治家や官僚…竹中とか阿倍くらいか…の持っている思想背景の描出とか,重い。高村薫は「嫌でも読む」。それは義務。「次世代」と言われる政治家が構造主義の影響を受けていて,そしてそれに付随しかつそれに隠すように底に持っているニヒリズムや人間蔑視。これには心底吐き気がする。だが,ひるがえって自分が主人公=榮のような旧世代のセンスに基盤を置いているのかといえば全然そうじゃない。わたしの中にもどこか主人公の息子たちに似た感じ方があることにいまさらながらに気づかされる。もうひとりの主人公である彰之はいわば「次世代の世捨人」だが彼の中にも同じくニヒリズムや人間蔑視が泡を立ててる。…うー,ほんと嫌なことに気づかせてくれる作家だ。
| 埼玉 🌁