2010年07月20日

鳥王覚書

「出番前の人々」は白とベージュのコットン風合いの衣裳で統一されている。これは世界定めである。世界はおおむね無印良品である。

「ナチュラルな」。きわだった印象を作らない。役者や観客の日常から離れない。「演劇以前」をいったん成立させる。結果,無印良品的衣裳が選択される。

このこと自身の困難。百人いれば百個の別の日常があるという面ではなく,共通項に依存しているからだ。それは表現を構成する者,観客や役者を選別せざるをえない。「多くの人」「大多数」の感受性の共通を前提にしているからだ。
そこから多少違った感受性を持ったものはこの表現にノれない。たとえば無印的なファッションに違和感や不快感をもつ者には。彼らは表現者にはなれないのはもちろん,観客としても表現を感受することができない。「演劇以前」に,いわば表現の現場からはじかれている。
(そして,無印ファッションをナチュラルと感じる者が多数派だと言いうるのか。もちろん良品計画はそれを目指しているのだが。)

ナチュラルなファッションはありうるのかを問うことは,ナチュラルな人間とは何かを問うことだろう。人間関係なしに人間はないとするのなら,ナチュラルな社会生活,ナチュラルな人間関係というものを仮想していることにもなる。
それは壮大な,しかしありきたりな嘘ではないのか。
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2008年05月25日

快快「ジンジャーに乗って」

元メンバーのO氏に強力に勧められて。
また牢獄芝居かよ! とはいえ牢獄観はポップではある。
時代はナチュラリズム全盛だね。ナチュラリズムはアマチュアリズムとは似て非なるものだ。快快はナチュラリズムという点ではプロフェッショナル。
表現全般,体の制御という面ではアマチュアリズムでやっていきたい,という臭いもある。
ナチュラル(風)な台詞群に一見無関係なダンス風のアクションを絡ませていくのが見所。しかしなんだ,ナチュラルさを対象化する方策として,ナチュラルな台詞内容と台詞回しはそのままに,ナチュラルでないアクションを付随させてみるというのは,うーん,どうなんでしょう,アイデア勝負というか,問題に正面から当ってない感じもする。
そのアクションがゆるいせいもある。「上手な」台詞回しが解体するほど体がもっと酷使された方がいいんじゃないのかなぁ。ゆるさを対象化したそうにしてるけど,その方法自身がゆるい。全体を貫く,集団の売りでもあるだろうその「ゆるさ」こそが牢獄に見える。
すんごく気っ風のいい,キレのある,嫌みのない役者さんたちなんだし,もっともっと見せてほしー。
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2008年05月10日

錦鯉タッタ「安穏。」

なんだ,なんだ,全然おもしろくないぞ。
繰り返しってつまんないないなぁ,というのがまず。自分事だからね(苦笑)。
でも,いやしかし,繰り返している内容自身がつまんないからだ,と考えることにした。
それに「繰り返される」こと自身が意味として面白いことはあり得ない。繰り返すということもそのことで見えてくるものが構想されてないとあかん,ということもある。2回目,適当にはしょられるだけじゃなぁ。「繰り返される」という記号でしかないよ。
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タグ:錦鯉 AND
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2008年03月25日

未知座「ネスト」

三人姉妹、女中たち、罪と罰、カラマーゾフ、(あまり使ってもらえないとはいえ)中央には鉈と林檎の置かれた「機械」様のもの、前日観た彩星芝居にも使われていた「林檎の木の下で」。むかわさんならずとも「共時性」とか口をついて出てきそう。
まぁ、ネタについてはおいとこう。
舞台を観て、率直に思ったのは、演じるって凄いことだなぁってことだった。いまさらながらに。
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2008年03月23日

彩星学舎卒業イベント「かたい地べたに はえて立つ」

http://saisei.jp/
未知座の話の前に。こっち。
このイベントに行くといつも思うのだが,わたしはこのイベントの何なんだ? たぶん,お客としての資格を持ってないのだ。芝居畑にかかわっているという理由でやってきているのだった。だからなんとなく居場所がわからない。わからないまま,居て,なんとなく思ったことを書いてみるのだ。
ひとつの継続されている表現行為としてみるに,以前にくらべて全体の圧力みたいのはダウンしているし、構成もいまひとつ納得できない部分もあり。たぶん内部的な問題もありそうで、ひとつ転機を迎えているんだろうと想像される。
とはいえこちら=野次馬からすれば、「教育」の分野で、出演者の日々となんらかの関わりを持つ観客に向けた、なんらかの自分(たち)「発表会」が演劇という形を取って(卒業式を含むというおまけ付きで)行われ続けていること自身とても麗しく思われ、マンネリだろうがなんだろうが続けるべきです!と言っちゃう。
東京の演劇市場とは別のところにこそ演劇の現場があるのだという思いを強くする。
今回も竜くんを誘うのを忘れた。来年あったら是非ね!>竜くん
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2008年02月29日

ニパフ2008川口二日目

霜田さんは,「on the table」のころに気にいって何度か見た。この日は霜田さんの出演しない日。
パフォーマンス・アートってのは間口が無茶苦茶広いので玉石混交なのは当然ではある。
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2007年10月05日

うぎー

そもそも忙しい上に,あれもこれもあって。
それに公演も近くって口数が少なくなってる。

もしもし仙台公演
いかったよー。昨年よりいい。すっきりした。
いかったけどもっとばっちり稽古して欲しいデス。そしたらもっともっとよくなる,まだまだ先がある。
暗転がなくて私的にはたいへん嬉しい。
最後の「私のこと知ってる?」(だっけ),よかったねー。
あれって,まほさんがずっとやってた「私のこと好き?」つーのにも通じるし,あと「嫌われ松子」の基本トーンでもある。ある世代的な共通感覚なのかもしらん。私の受容の有無,受容のされ方が問題だという?
最後の道具を壊していくのも(それってテント芝居だろ!というツッコミはおいといて)よかったッス。あの劇場は道具の外側に風景を持ってる(乱雑なものが置いてあるとか)から成立するけど,そうでない無菌培養みたいなペラペラな劇場もある。そしたらどうする。自分たちで風景を「作る」のか? 偶然風,乱雑風に見えるようにものを配置したりして? それともこの公演の風景も作られたものだったんだろうか?

アザリアのピノッキオ
入場前の開かれた街芝居風導入がよかった,ロバもよかった,黒谷さんの人形遣いもよかった,人形自身もよかった,子供もじいさんもよかった,歌姫の歌もよかった,ウードという楽器の音色もよかった,西村さんも伊牟田くんもよかった,台本も説教臭くなくて助かった,大久保鷹のカーテンコールがすばらしかった。
それでも,私にとっては安田さんにつきる。くだらないこと,意味のないことに邪念を排し全知全霊全力を傾けて取り組む。こんなにも明白な暗黒舞踏って!
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2007年09月03日

平原演劇祭

いままでの会場とはうって変わって秘密な、催しの趣。(いままでは「出し抜けにパブリック」だった。)
前回ほどひとつひとつの演物について何か書いておきたい気分にはならず。といってつまらかったわけでもなく。刺激的というのとは違うけど,風景、気候を含めてその時間を楽しんだ。
発見という意味では、劇団12
平原演劇祭に行けばほぼ必ず見ることになるから、もう数年にわたって断続的にそのユルさに付き合っていることになる。だがいままで私はその肝心のユルさを魅力として受け止められなかったのだと思う。
ユルさっていうのは濃密な時間への反措定(カウンター)だと思う。仮想されている「濃密な時間」の像がボケていれば、ボケたユルさしか提出することができない。ずっと12のユルさにピンボケを感じてきたのだと思う。意志され鍛えられ提出されたユルさではなく、世界/演劇の認識の甘さとしてのユルさ。そんな程度じゃ力を持てないよ、それじゃただの世間知らずだよ、と。(この評価自身,多分に主観的なのであしからず。)
今回初めてなんかしらんがおもしろかった。どのへんが?と聞かれるとよくわからないのだが、何かが今までとは決定的に違っていると感じた。
たぶん(そう、たぶんとしか言えないのが歯がゆいが)、「濃密な時間」の認識の精度、深度があがったんだと思う。フォーカスがあってきたというか。意図してユルさが追求されているんだと思えた。
強度ある「濃密な時間」を(も)内側に持つ竜くんとのつきあいが影響してそれを導いたとも思え、だとするならその両者の根気のよさは感嘆に値するし,祝福を惜しまない。
役者・関根ちゃん、すばらしいなぁ。このよさは偶然なのか必然なのか。たとえ今回が偶然であっても、次の機会には必然になっていることを希う。
タグ:平原演劇祭
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2007年08月20日

シンミョン「立ち上がる人々」

木場で観た。
なにせ音楽がいい。音楽というか,演奏が。
「演劇」的なるものが終わった後,光州蜂起の死者たちがどうかして(?)よみがえる。その祈りの太鼓。素晴らしい。演者たちのノリに打たれる。演者の誰もがかっこよく,深いノリに支えられ,自由だ。場は演者と観客に共有されながら高揚していく。
このシーンは舞台の時間の最後にある。だから表現全体としては説得力を持つ。それはそれとしてテクニックとして了解できる。この舞台をひとつの表現としてみるなら,成功していたといえると思う。
だが,ひるがえってみれば最後の演奏のすばらしさに逆照される「演劇」における演者たちの不自由さは,誰の目にも明らかではないだろうか? 「第二のマダン」の武器を取った市民(学生?)たちのブロードウェイと軍事教練のミックスでしかない「踊り」…その悲惨。その後のおっかあたちとの交流の場のしらじらしさ。死をも予見せざるを得ないなかでのぎりぎりのユーモア…という奥行が見えないまま,市民に支持されていたんだという(もちろんそれ自身が事実であったことをわたしは知っているのだが)アリバイ,説明。「演劇」がここで受け持っているのはそんなことなんだ。
第一のマダンの二人はいいと思う。でも,でもね。あれは古典芸能じゃない? 私のいまに切込んでくる何かではない。(彼らが自分の息子を殺した者を見極めることができるのか,彼らのこれから,彼らの旅をこそ見たい。)
古典と新劇的空疎さの接合。いままさに劇場で生きている身体としての思想が表現として現前化するこの「演奏」に,この「演劇」は全然太刀打ちできていない。ひっこめ演劇!と叫びたくなる。
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2007年08月05日

黒藤院「目覚める前に」

松本から帰って横浜へ。西瓜さんに誘われてた。
後半,よかった。男の若手二人のそれぞれのソロ(一人は声とのインプロ)がはじまるころから。声を使った即興の音楽もこのころからよかった。
蝉丸もはじめて見た。十分に楽しんだ。
楽しんだけれども,いまのわたしには自分ごととしては結局興味が持てないんだと気づいた。完成されたもの,破綻の影もないものはいまはいいや。
ちょっと焦ってきている自分を発見する。
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2007年07月23日

キンダースペース「競馬 勧善懲悪」

開演前。
おかど違いのキンダースペース観劇。
北トピアつつじホール。
正真正銘自他共に認める新劇をそれと知って観るのはいったい何年ぶりのことだろう。
知り合いが出演している。初日10日前に終日稽古に入ると聞いた。「たった10日!?」というのが率直な感想だった。作家や演出はこの新作のためにおそらくは少なくともその数倍、場合によっては数十倍の時間を費やしているだろう。と考えると、この表現はどうしたって作家・演出のものだろぉ。
≫以下終演後。
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2007年07月16日

観劇予定

今月は花上さん,烏山・山あげ祭。
8月はシンミョン。韓国料理「大使館」駐車場ってのが面白そうかな。話は違うが,韓国料理店とか韓国食材屋って「大使館」とか「大統領」とか多いよね。なんで?
姫子様から9月一人芝居がある旨の連絡有り。一人芝居!? 勇気あるなぁ。これは行く。
イキウメから9月「散歩する侵略者」公演のハガキが届いた。有川マコトさん,出演しないのね。かなすい。でも行く。
パレスチナ・キャラバンは…。9月だったかな。
あー,もしもし東北公演も!9月!
9月はタイヘンだ。
そういえばAND今年はアリスに来ないのか。
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2007年05月14日

花上さん「歴史」

久しぶり。
いつ見てもちゃんと面白い。そう,そうなんだ,工夫は愛だ。
いちばんよかったのはひとの(すごくありきたりな)頭部の人形だけを(花上さんの)頭の上にのっけた半人形。花上さんの頭部は布で隠されている。
背が異様に高く,足が短く,手が長い。ものすごく奇妙な体型のヒト。手足の長さのバランスをちょっと壊すだけでこんなにも面白い。「ちょっと」というところがミソで,すごく壊すとヒトに見えなくなっちゃう。
なるほどねぇ。「バランスを崩す。」
首を切り取ってからはヒトに見えにくいのが残念。でもひっくりかえった体勢で股の間に頭を置いたときは「あっ」と思った。足は手に,手は足に見えなくもない。ますます奇妙なヒトの形象が。でも首を切り取ってからの面白さは十分に鍛えられていない。まぁ面白いからといって大盤振る舞いしない上品さが花上さんの持味でもあるんだが。
タグ:花上さん
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2007年03月25日

兎に角裸足で駆け出そう-和風レトロ

retro_.jpg表現としての「つたなさ」がみつまめ/和風レトロのキーだと思う。表現としてのつたなさを味方につけられるかどうかだが,この芝居はいままでになくそれが必ずしもうまくいってないように思える。
つたなさはあってもあざとさはない。だから演劇的なケレン,嫌味はなく,後味はいい。見ていられる。なんであろうと応援したい気持ちもある。
外部に属する人物…熊谷清正さんの演じる人物…が登場するのは和風レトロでは珍しいのではないだろうか。そこにこの芝居の一番の挑戦を感じる。が,その挑戦はまだ途上だと思う。果実を得るにいたってない。そしてわたしとしてはこの挑戦自身を微妙な気持ちで受け止めてる。
外部の存在を舞台に上げるとき会話が生まれる。同世代の語彙とリズムの鎧を身をまとい客と対峙するという面よりも登場人物内部での対話に重きを置くことでクラシカルな(第四の壁を持つ)「演劇」のフォルムが立ってきている。そのことをわたしはやや苦々しく思っているんだ。
対話であり…つまりそれぞれのキャラクタなり考え方なりの相対化をはかり…つつ,表現としての絶対性を獲得できるかどうか。

17席固定の極狭の劇場は魅力ある。
でもなー,少なくとも舞台上の上下の幕はいらないんでないの。(あ,細かいことひとつ言っちゃった)
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2007年03月21日

狂想のユニオン-イキウメ

前回よりもよかった。
けど、私にとっては「まずまず」。
芝居の後半、揺れる姉とその婚約者の会話。責め合いながらやさしさを失わない、痛みが伝わってくる会話は、この芝居でいちばん深い台詞だと思う。
ラストにもより強い情感が成立する設定は用意されている(弟が死にそう等など)けどなぜかその情感は台詞として結実しないまま終わってしまう。一番強い、複雑で繊細な情感をなぜ大切にしないのだろう。
「散歩する侵略者」に比べると、なんか「社会派」にでもなりたいのかと、そんな風に見えちゃうところがいちばんの不満。
とはいえ、姉と弟が直立したままストンと落下していく様はなかなか。(もっと…決定的なシーンで使ってほしいかも。)
役者たちも(いつものことではあるが)達者。有川さん、岩本さんの二人はすごい。特に岩本さんて神にも悪魔にもなれそうな。二人とももっと活躍してほしい。
タグ:イキウメ
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2007年03月19日

首輪物語2@京都

いかった。
わたしにはある意味ベストマッチな芝居だった。
芝居を見ながら「茶番の王道」となんども考えた。茶番への志向がはっきりしていて迷いがない。清々しい。
ああそうか。わたしは役と役者の関係について考えてた。
茶番だから役者がケチな内面を吐露したり、何か大仰なことを分かった風にしてみせることもない。内面に拘泥しないから身体のキレがよくなる。
久々にまゆみちゃんの勢いのある芝居を見られたのはほんとに嬉しい。
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タグ:京都 物語 茶番
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2007年02月12日

錦鯉タッタ『POTS2』

nisikigoi.jpg自分の芝居のことをぼちぼち考え始めたせいか,他人のやっている芝居にいまひとつうまく対応できない。
自分にとって異物だと思われる「鹿殺し」とかについてははむしろ考えやすいのだが,自分たちの流儀にそこそこ近しい舞台表現に対する向かい方がよくわからなくなってる。
蜂蜜劇場につづいて今回は錦鯉。
役者たちに文句はない。よりベクトルを強くして欲しい思い(「もっと〜」)はあるけど,それぞれのベクトルの「向き」に文句はない。どの役者もいい役者であるし,ことにかずみちゃんの「傘」のシーンにはぐっときた。
ここで役者たちに文句がない,というときには所謂「自主稽古」で作られたと思われるモノローグのシーンに文句はない,ということにほぼ等しい。
ひるがえって,この芝居の時間の多くをしめる会話のシーンのほとんどには興味を持てない。物語の構造とかは前回よりも鮮明になっているし「物語読み」でない観客の一人と思われるわたしにもよく理解できる。でも「なるほど」以上の感慨はない。
≫なぜだろう,と数日考えた。
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2007年01月24日

蜂蜜劇場『鰍森』

なんで感想が書きにくいのかなぁと考えてみる。
尻が痛かった?
それはある。「面白かったけど尻が痛かった」「尻が痛かったけど面白かった」両方ある。
自分らに似てる?
うん,それもある。構成の手つきとかかなぁ。
なんか芝居が長くなっちゃうようなところとかも? チャンバラやりてーんだよーみたいなところ?
ただ,どうなの,それって感想が書けない理由になるの。
役者はどうだったか?
悪くない。っていうか,いいに決まってる役者たちだからね。あえて文句を言えばナカムラ以外は想像よりもひとまわりずつ小粒。ちょっと「ご隠居?」とか「発見の会」(失礼)とかいう言葉が頭をよぎった。(宮崎さんは別。)断続的にではあれ,ずっと芝居をやってきた人たちって難しい。
それぞれのシーンは?
観てから二週間近くたって一番印象に残ってるのは,最後あたりの佐藤のサカナを植えてるシーン。ただ,このシーンは凄くいいのに,どことなく映えない。なにかしら劇場演出的にしくじってるせいだと思うのだが。惜しい(もったいながり)。
ビーチでお客に面と向かってにやついてるだけのシーンもよかった。でも,こっちはたぶん「思いつき勝負」だよね。役者的にはサカナを植える方が正道だと思う。
ナカムラの死後の人の肉体の話。見ていたときは,ひとのおもさ人形にかぶるところあるし,「これは台詞でしゃべるんじゃなくて芝居として見せて欲しい」と思った。けど今になってみると案外印象に残ってる。
ああ,そうだ,「忘れました」だっけ,あれは台詞,いーねぇ。
岩ちゃんの立ち姿。いったいいつ以来の舞台なの? 以前より,身体の芯の力が抜けていい感じ。怪しい庵のシーンもいかった。舞台が暗かった印象。パキっと明るくても面白いと思う。
で,結局?
思い起こしてみると,どのシーンもいい。はず。なのに,なんかそのオモシロサを堪能させてもらってない不充足感がある。やっぱ尻が痛かったからか。それとも何か別のことがあるのか。
まいいや。旗揚げだし。次も期待。
タグ:蜂蜜劇場
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2007年01月21日

鹿殺し『僕を愛ちて。』

蜂蜜の感想の前に。
なにせ勉強になった。
そして思った。「慰安はもう結構」。
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2006年12月27日

シーンいくつか …もしもし『生まれ晒し』(3)

umarezarashi.jpg
  1. 冒頭,いいねー。元気あるし,シャープだし,それになんつーか,この芝居を通してもっとも優しいシーンだと思う。痛みのような優しさってのはあんまり今までの「もしもし」ではお目にかかれなかった情感だと。
  2. みちこりんの「ぐだぐだシーン」。電話でのぐだぐだもなかなかいいけど,その後の「ぼくもいまそのことを考えていたところだよ」あたりのぐだぐだがおもしれー。なんでテーブルを鼻の下にくっつけんの?と思うけど「ぐだぐだ」感がよく出てる。もっとやってくれー。
  3. お医者さんごっこ。前に書いた通り「器用貧乏一代記」は傑作だと思う。ほかにも「戦隊的焼き肉」の話も,「脈!」の冗長路線も,どれも面白い。「脈!」「はい!」のときのみちこりんのアホ笑顔が印象的。
  4. 三ちゃん。(こいつは裏の主役だ。もっと重要な役割を持たせることもできそうだ。)幕間にやっしーがアコーディオンを弾く,というプランがあったそうだが,もしやるなら三ちゃん風衣裳で。受付はみんな三ちゃんとか,三ちゃん団がバックダンサーズをやるってのもイイかも。ダメかも。
  5. 将棋盤勝負。面白かったけど,ネタとしてはまだ鍛えられそうだ。「ぬいぐるみ」的なアホな「手」がもっと欲しい。戦隊ものレアフィギアとかどうだろう(「ぬいぐるみ」には負けそうだけど)。郵貯カードはちょっと洒落になってないかもー。営業十ヵ条,聞きたかった。
  6. 痩身に向かう芝居よりも肥大していく芝居の方がいいんじゃないか,と豊橋のさと子さんが言ってた。それいい! あなたへの思いでどんどん膨らんで,最後には観客の頬を押すほど,劇場いっぱいに肥大化するってのはどうだ。
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2006年12月26日

過剰な言葉 …もしもし『生まれ晒し』(2)

奈尾くんのテキストの過剰さはすばらしい。「器用貧乏一代記」の途中で何度も金芝河「糞氏物語」(金芝河作品集〈2〉 (1976年))を思い出した。
「書ける」ってことはスバラシイことだなと本気で思った。「書けない」わたしは言葉に対して「もったいながり」だ。言葉を倹約して使う。ひとつひとつの言葉に重きを置く。聞こえはいいが,実のところ貧乏くさい,という側面ももつ。
奈尾テキストの真骨頂は言葉の潤沢さ,贅沢さ,ゴージャス感にあると思う。いくらでも言葉は出てくる,だから言葉を倹約する必要がない。
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2006年12月25日

訪問芝居 …もしもし『生まれ晒し』(1)

この芝居の物語は、「訪問芝居」の構造を持っている。
@一点(田舎、部屋、家族、サークル)に定住する者のもとへ外部から他者(異物)がやってくる。Aこの定住者と訪問者の関係があり、Bそして訪問者は去ってゆく。
チェーホフ「三人姉妹」「ワーニャ伯父さん」、安倍工房「訪問者」などがその構造の代表格だが、「ゴドー殺し」の意図のもとアングラの代表的なテキスト群がことごとくその構造をもっていたことを教えてくれたのは津野海太郎『門の向こうの劇場』だった。
訪問者とはゴドーであり、貧困や退屈に閉塞された私(定住者)に決定的な変化をもたらすことを期待された存在だ。だが,Aの局面では、その幻想が裏切られるということが重要な要素であり、訪問者が去ったあとにあるのは訪問者によってもたらされた(豊かさではなく)貧しさや飢餓感、破壊された内面だ。
この芝居の冒頭はかなりかっこいい「訪問」シーンだと思う。だけどラスト近く,彼が去っていくシーンはさほどクローズアップされない。そこ,残念。
窓から彼が登場するシーンは芝居としてもはじめて窓を使っての登場シーンなんだ。でもその後あまり重要でない契機で彼,そして彼女さえ窓から出入りしてしまう。閉塞空間と「外部」空間への唯一の通路としての窓の意味は芝居の時間を経るに従って薄まっていってしまう。
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2006年12月15日

西瓜+須貝吏『Live〜舞踏とNOISEの共演』

arata.jpgなんか書くのが無茶苦茶遅くなった。

面白かったッス。
西瓜さんのダンスのいくつかあるだろう脈のなかで,この脈が一番好きらしい。<わたし
好きなのは要は裏がない,ということかな。
音を出す生き物と身体を動かす生き物。しかありませんぜっていう明瞭さ。

ふたつを一緒の箱に入れてみたら,なにが起きるかな?
何かが起きる,ということを過剰に予定しないこともポイントね。

音を出す生き物が身体を動かす生き物に身体的に(もしくはドラマ的に?)絡みかけたのはちょっと危機の局面だった。あの「絡み」(未遂?)をどう評価するかでだいぶ今後の行先が変わってくる。
シリーズ化してほしー。

西瓜さんはこれをも「舞踏」と呼ぶのか。ぼくらが「演劇」という名を手放さないのと似てるんだとわかった。
豊田勇造の歌
俺の牢獄がギターだとしたら
あの人らの牢獄は台湾だ
みたいな話なのかも。
ならしょうがないかもな…。牢獄を背負っていくしか。
posted by doino at 23:04| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月17日

錦鯉タッタ「POTS」

二度見た。
一度目は,なにせ「芝居になっていること」それ自身が他人ごとながら嬉しく,祝福モードでこれといって文句もなし。なんといっても役者が馬鹿に見えない。「やらされてる」感が(ないわけではないけど)背後に退き,自分がしてることの意味,いいことも悪いことも引き受けようという,メンバーひとりひとりの覚悟を感じる。
二度目は,これじゃいかんと思い直し,「その先」を考えながら見たおかげでいろいろと文句も出てきた。
言葉が弱い,ということがまず。どの役者も悪くはない…というよりかなりイイとは思いながら,「まだできんだろ」と。長短ヒットは出るんだが,勝負を決めるあと一本が出ていないという感じ。
ジュネとか,文脈でひっぱる言葉ってのはどうも強い言葉なるものとやはり矛盾しているのかもなぁ。
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2006年10月29日

パララン翠光団「わたり双樹」

芝居の中頃,「関白宣言」とそして桑田佳祐(サザン?)をBGMにしたモブシーンは奇妙に,微妙に成立している。それぞれの役者,踊り手の作風は統一されないままそれぞれの曲線をてんでに舞台上に描いている。熱のこもったというのでなく,クールで(白々としながら)しかし陽気な,そして不思議にふくよかな快楽を作り出している。
これはある種の祝祭にはちがいないが,土俗へと繋がっていくそれではない。「時間を無くした者の祝祭」みたいな…。わたしはその演劇的無手勝流をおおいに楽しみつつ,その醒めた快楽にせつなくなり泣けてきた。
いま,こんな風に祝祭があり得ること,こんな風にしかあり得ないことに。≫続きを読む
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2006年09月16日

AND「東京OZ月光」

みちこりんが感想を書いている。
今回,「わたしはすでにANDのファンである」ことを自覚した。はじめて「ついていきたい」感情を知った。そしてファンは自分がなぜファンなのかを対象化することが難しい。

ANDの魅力の中心…「それは純粋さ」(みちこりん)。その通りだと思う。
昔の長田弘の詩に「われら純潔な旅人」というのがあったなぁ。そんな感じ。
くっさい台詞も性的描写も,照れやケレンを感じさせないためにまっすぐ突き抜けてくる。
この「なにも押しつけない。同意も求めない」猫のような純潔さがある限りわたしはANDのファンであり続けると思う。
自分たちがこうした純潔さを持てているのかどうか,全然わからない。が,そうありたいと願う。
≫続きを読む
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2006年09月03日

イキウメ「PLAYeR」

うーん,どーなんでしょー。困ったなぁ。
前回見たのは「散歩する侵略者」。これはけっこう感動した。漫画チックなSF設定はいわば仕掛けであり,そこで主題化され焦点化されているのは人の痛み,だったと思う。
だけど今回の「PLAYeR」は肝心のその点が曖昧になっていて,結果として人間に対する視線に粗雑なものを感じてしまう。
八雲役だけが本質的に外部の人間である以上,彼こそがその軸を形成しなければならない。しかし物語は必ずしもそこにポイントがあたらない。彼だけが,問題は「世界」や「真実」ではなくてわたしの痛みなのだと,そこそこは主張してくれるのだが,…とても不十分,だと思う。
逆に言えば,八雲以外の彼ら=「輪」の持っている(「輪」に属さない者に対する)残虐性が際だつべきなのにそうなってない。
作者はこの素材を組み伏せられずに,逆に飲まれているんじゃないかと少し心配になった。
だってね,「精神性」の話だけをするのなら演劇なんて身体をともなった手段はすごく不得意だ。演劇でやれるのは生身との関わりにおける「精神性」世界でしょ。実際この芝居もそんな仕組になってる。にもかかわらず,そここそが不十分…。
≫余計なことをふたつ。
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2006年08月27日

和風レトロ「Loose Girls Show」

出演者負傷のトラブルで30分押し。
5時の回と9時の回の二度見た。5時の回はトラブル発生後の最初の公演だったからだろう,芝居が硬かったと思う。9時の回は流れができててえかった。
意外や意外にも文学だった。西和恵,本が書けるのか。ちゃんとしてるし。
役者さんたちもどこが悪いってこともない。特にほんだみかさんは今後が楽しみ。現状「アネゴっぽい」。「っぽい」のはいいんだけど,真性のアネゴにならずに今の初々しさを保てたらすばらしい。他の役者さんたちもそれぞれに達者でそれぞれにイイカゲン。
「イイ芝居」だった,と思う。いまどきのGirlsの感じがよく出てる(んでしょう,多分)。
みつまめは「ワルイ芝居」(≠「ダメな芝居」)だね。有害な,というか。
わたし的には「ワルイ芝居」に肩入れする。「イイ芝居」ってしょせん芝居じゃねぇの,という思いはぬぐえない。
≫続きを読む
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2006年08月16日

ささらほうさら「だいこんどの」

面白かった。
けど次もう一回見たいかというと「どうかな?」微妙。

平原演劇際でも思ったことなのだがアクションの背後にあるものが「軽い」。
動きは動きであり形であり,精神みたいなものはあとからついてくる…,まず動いちゃえ,といった思い切りが感じられる。そのへんの思い切りのよさとアマチュアリズムは関係がありそうだ。実存の権化になったりしない。そこには私にとって学ぶべき点もある。≫続きを読む
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2006年08月14日

平原演劇祭プロデュース「身代神社由来絵巻(withシュールストレミング開缶会)」

konosiro_yomi.jpgいきなり挨拶で「演劇の催しではない」と宣言されてずっこけた。(朗読はあったけど。)

タイトルどおり,会場である身代(このしろ)神社の由来を探る勉強報告会かな。学芸員の方まで呼んできていてそれなりにちゃんとやろうという意志を感じる。
こういう主題って人に話されればそれなりに興味深く聞けるのだが,それから離れて自ずから動いてなんか調べてみようとかいう気にはなれない自分ってなんだろう。
…たぶん高野くんよりも地域・史への視線が弱いんだろうな。どうしても地域とか歴史とかいう言葉が自分のなかではもっとだいそれた(大文字の?)ものになっちゃってる。もちろんフィールドの違いにも関係しているとは思うのだが,それにしてもそういう自分はちょっとよろしくないな…と考えたり。
konosiro.jpg
シュールストレミングってのはアミの塩辛のもっともっと強烈にしたようなの。熟成した生ゴミの臭いだね。
でもおそるおそる食っているうちにその臭いにも慣れてきた。ブルーチーズもどろどろになっちゃったのはほぼウ○コの臭いだしねー。臭いってのは人間の五感のなかでももっとも鈍感,「慣れやすい」というのを聞いたことがある。
箸の先につけたのを嘗めながら酒がすすみそうではある。
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2006年08月07日

平原演劇祭

いんやー,面白かった!! いままで見た平原演劇祭のなかで一番だった。
最後あたりのみんなで「カーテンコール」状態のシーンが実体として豊かに成立して見えたのははじめて。
えかったえかった。

▼杜王町JOJO劇団ラブ・デラックス(この芝居から見た)
西ちゃんて凄みきかせることもできんだね。そこにまずびっくり。(あの帽子似合うねぇ)
JOJOについては知らないけど,面白かった。半立ちはちょっともったいない,というかやや掟破りだろうとは思うが,これからを期待させるのにはじゅうぶん。
ただ,あの空間にはやや不利なコンセプトの芝居だと思う。せまーい空間で文字通り「所狭しと」ドタバタ,というのがよさそう。
意外にも叛通信とかの方法論に近しいものを感じた。演出(それが特定個人でないにしても)はもっともっと役者をしばいていい。もっと早く,もっと強く(そしてできればしなりをつけて)。そのイッた顔でお客を引かせて欲しいぜ。

▼ベビーピー
よく身体を使うし,がんばっている。空間とのなじみもいい。
小劇場をフィールドにしているのかな。でもぜったい野外空間の方がおもしろいと思うぞ。
ただ良くも悪くも上手さが立つ。わたしにはややそのあざとさが鼻につくのだが。
現状では映画にした方がいいんじゃないかとも思え,ちっぽけなブンガク,ちっぽけなコントを超えてエンゲキに下りてこいと言ってやりたい。

▼桃と安酒Z
なかなか見せる。なにがいいって(これはこの演劇祭全体にも言えることなのだが)プロフェッショナリズムとアマチュアリズムのある意味いい加減な混濁がいい。プロフェッショナリズムからだけ言えばきちんとやるべきところをきちんとせず,結果,風通しがいい表現になってる。
といって素人とは全然違っていて,少なくともメインの二人は空間を立ち上げる力量を持っている。
物語は全然分からないのだが,物語を置いたときに開かれる身体の自由さはそこにあるのだからそれでいい。
金粉おネエさんたちも突き抜けていてよかった。顔が金粉されていないのは生々しい。あのルックスには奥行がありそうだ。

見たみっつの芝居はテキスト/物語をテコにしながらそれと演劇はどんな風に交わるのか考えるにはもってこい。
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2006年08月02日

西瓜「DISTANCE」

img044.jpgスタッフ内輪で「カクカク」と呼ばれている「手のダンス」がわたしはもっとも興味深かった。
これを見たのは四月頃にマチェックの下見に訪れた西瓜さんがちょこっと現場で身体を動かしているのを見せてもらったのが最初。このときはほんとにクールだった。
本番も面白かったが,しかし四月にみたのに比べるとシャープさに欠ける印象になっていて,何が違っているんだろうと考えると,まずなによりも衣裳だと気づいた。
四月に見たときはスパッツにTシャツ姿だったと思う。あの本番のふんわり空気をはらむひらひら衣裳ではシャープさは実現しない。
西瓜さんは暗黒舞踏系の流れを組んでいるんだろうけど,ある時突然奇跡のようにポストモダンが降臨する。そんな西瓜さんのダンスをいままでにいくつかは見た。「カクカク」はあきらかにその系譜。それが衣裳のせいでいまひとつ生きないのはとても残念だ。
衣裳,そしてあの衣裳の背後にあると思われる「暗黒舞踏」色が気になった公演だった。≫続きを読む
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2006年06月18日

川熊美貴・西和恵二人芝居

ヒカゲちゃんトカゲちゃん
at アートスペース宙(そら)
みつまめの西ちゃんの方がイイ!
ぶっちゃけながらも強引に舞台を成立させていく…というか成立していないのにそれを知ってか知らずかなにせ立ち続け進行するその心臓に毛の生えた(無)神経が好き。
この芝居でもそのセンスは生きてる。でもこの芝居のテキストは(みつまめよりは数段)ちゃんとしているし,いろいろな舞台の仕掛けなんかもあってそういう彼女の魅力が剥き身で舞台に投げ出されているのとは違う。そうした演劇的な要素が彼女の魅力をオブラートでくるんで舞台の「一部分」へとおしやってしまう。
舞台の一部分になった彼女は批評の対象になる。もっとああする方がイイとかこうする方がイイとか言いたくなる。演出的にもっと締め上げたい誘惑が出てくる。でもみつまめではあきれはててそんな気持ちにはならない。
もっと独善的,絶対的にやってくれる方が一ファンとしては嬉しいかな。
和風レトロはどんなだろう。行けるかなぁ。

川熊さんは初見。芝居中から「うーん,もっとできんでしょ」と思ってた。見た後に西瓜さんがもっとはじけた芝居ができるといっているのを聞いて「そーだろそーだろ」。そんなのも見てみたいなと思った。この芝居では役者としての彼女を云々できない感じ。
芝居は,アングラ風なのだが,どこか照れている,はにかんでいる,諦めている,醒めている感じがあってそこにちょっとひっかかった。だからオモシロイとかツマラナイとかいうことではなくて。ちょっと天野天街を思い出したり。
案外この作者=手代木さん,転機なのかも。とすればこれからの身の振り方に興味出てくる。
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2006年06月06日

野戦之月海筆子

久しぶりに日本公演とのことで観にいった。
伊井くんは新境地。素直にかっこいいじゃん,と思う。この路線が全面展開される日を気長に待つことに。
森さんも会話しているときはそれなりだけど,高い舞台で一人台詞のときの「タテノリ」風な入れ込みがよかった。これもまだまだ先がありそうだ。
嫌なことは何もない。芝居って嫌なものもとても多いから「嫌でない」ことそれ自身,実はとても高い得点。上記二人の役者はよかったと思うし,ネギヤンはいつもながらではあるけどでもやっぱりおもしろい。
にもかかわらず,自分がやってること,やろうとしていることとの「ジャンル違い」の印象は以前よりも強くなった。その印象を持つのは自分が変わったからか,野戦が変わったからか? ふむむ。たぶんその両方ね。
巡り巡ってどこか遠いところで出会えることがあるのかなぁ。
大造さんは熱発中とかでとてもつらそうだった。
タグ:野戦之月
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2006年04月22日

あたまごなし「アリババが四十人の盗賊」

とても「ちゃんと」した演劇だったと思う。これはとりあえずは褒め言葉でも貶し言葉でもないのだが,しかしこの芝居に関して言えば主題に見合った文体とは言えないということになる。
主題として演劇の無効性を言いながら,その主題を背負った表現は旧態依然な「討論劇」安穏スタイル…では示しがつかない。頭は革命,では身体は?
「演劇」「芝居」という単語をこの芝居のなかで何十回聞いただろう。ほとほと単語「演劇」のインフレも甚だしい。演劇の実体で勝負していないことを逆証していると思う。何千回「演劇」と言っても,演劇は近づいてこない。
だがしかし…,同じ主題=革命,同じ文体=新派を永遠とも思える長きにわたって保守し続けている陽気な「流派」もこの国にはちゃんとある。そんな流派の一変種のひとつに名を連ねてそのスジでは一目置かれる存在になるという選択肢もあるかな?
≫続きを読むつもりならおすすめしない
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2006年04月17日

856

うーん,みほしちゃんはよかったんだけど,以前からごひいきのまゆみちゃんは…,難しい役だよ。なんでこんな難しいことしなくちゃいけないのか。さらにこの難しさを克服したとして,それはわたしにとって魅力的な役者さんに成長したことになるのか,そこもわかんない。
少し引いて眺めるならば,「若さ」からの脱却をはかる女優が「母」あるいは「演技派女優」に転向しようとしているという風にも見え,もしホントにそうなら無惨の一言。あまりに悲しい。

わたし自身は芝居における文学的な興味は薄いのだけど,やる側がそれを指向するのならちゃんとやって欲しいという思いはある。
≫例によって以下悪文を覚悟。
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2006年04月08日

叛通信「悲しみのダンス」

一日目に見た。役者が立たないなぁ,というのがいちばんの印象。最後あたりにはいくらかはせりあげてきてくれるんだけど,それでも全般に不満。役者が立ってこその演奏であり,花火であり,電車であり,だよ。いわずもがなだけど。
叛通信ではもとから,しなりをあげて役者が登場することはなく,直線,直情,単線的に根性一発なのだが,それはそれで「無茶するなぁ」という印象をつくり,それが時に役者の大化けをさそう。だけど,今回の「悲しみのダンス」はそれもそこまで徹底されていないように思え。
五月さんの書いていることと重ならないことを書こう。
わたしに芝居における会話について考えさせてくれる芝居だったことは確か。
(ど)は昨年の芝居でほとんど会話らしい会話は無かった。キャラを作ることが前提で,その前提をクリアしてから会話というステップの予定で台詞も用意をしつつあったのだったが,キャラ作りのテコにもなっている各自の一人台詞で十二分な上演時間になってしまい,またそれを削ってまで入れるほどの根性もなく。
でもやっぱり芝居の醍醐味のひとつは会話にあるなぁ,と。これは「悲しみのダンス」の会話が面白かったかどうかとは別問題だけど,それでも何か考えさせてくれる芝居は好きさ。

泉さんのサックスは凄かった。あの音楽的な技能,空間を埋める魅力,自由さに比べてなんと役者というのは無芸にして無力,不自由,無様。もっともっと100倍がんばらないとダメ。もちろん私たちも。
posted by doino at 21:26| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月12日

シガムー『ハッケヨイ!のこったガール!!』

(観劇前)
・いわゆる近代劇場。小綺麗な小ホール。濃密な時間を構成するには不利な環境。他にいいハコがないのかな。苦戦を予想。
・開演前から舞台装置が見えていて,これはけっこうかわいい。色彩感覚,ちゃんとしてらっしゃる。特に浮かんでる雲がいいねー。
(観劇後)
最初の30分くらいか,苦戦。テンポが生まれず,役者,台詞が立たない。設定の説明とか伏線づくりとかに振り回されている印象。B級って言ってもハナからB級を目指してたんじゃ魅力あるB級にならないんじゃないか?と見ながら心配。
だけど,その心配は間違ってた。その後はリズムも乗ってきた。なかなか。セリあげてくる。手作り感が光ってくる。なにより役者が生きてくる。確信犯的学芸会,充分楽しませてもらったー。
この路線上にはまだまだ先がありそうだ。がっちりシコ踏んで,先を,さらなるB級を目指して欲しいでゴワス。
福井という場所で,もっともっと独善的に,鼻つまみモノ的に,井の中の蛙的に,孤高の「巨大な茶柱」的学芸会を作って欲しい…でゴワス。
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2006年03月06日

unit856

ラッキー,まゆみちゃんらの三人芝居。スタッフ二人入れて5人でバン一台で2週間の旅。短いけど,むちゃくちゃハードな日程になってるねー。これよ。三日から九日までほとんどノリ打ちじゃん! うーん。すごい。うらまやしい…かな。2週間だからできる日程とも言えるけど。浦和で観られるのはけっこう嬉しいぃ。自分的にはガス抜きか。
タグ:856
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2006年02月05日

Chunky Move

激しいダンスで身体の制御可能/不可能あたりの微妙なところをねらってる。
そして時折さしはさまれる「ナチュラル」を笑うような仕掛け。恥ずかしがりながらヘビメタの真似を中途半端にする…とかね。(笑)
また,技術を素人の身体で踏みにじっていこうという感じもあり,ちょっと自分たちと似た指向を感じる。ご大層でなく,体力勝負で,そしてどことなく貧乏くさいし。
純粋にネタ的にも収穫有り。
前のパフォーマンスとこれは「オーストラリア-日本 ダンスエクスチェンジ2006」のオープニングイベントということで。
posted by doino at 22:20| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月04日

Strange Fruits

StrangeFruit2.jpg
StrangeFruit1.jpg
StrangeFruit3.jpg
オーストラリアのパフォーマンス集団。
だいたい写真の通り。棒高跳びに使うようなしなる棒(4m)の上に人が立って…というか腿を棒に固定して「据えつけられて」ビヨーン,ビヨーンって。
アイデア勝負、一発芸的であまりいろんな動きのバリエーションはないんだけど、とりあえずは楽しいし、衣裳のよさにも助けられて美しい。
技術としてはすごいのかも。それにしては目指されてる情感は凡庸? 出稼ぎだから芸に徹しましたというところなんでしょうか。
横浜クイーンズなんたらいうところの屋内イべント広場で見た。
出し物としては韻文的なものを含んでいるから、それなりには客の集中を取り付ける必要がある。
こういう場所では屋内にこもる(気づかないが意外に大きな)騒音がダメージになる。屋外のすがすがしさもなく、劇場の「完全に計算可能」のよさもなく、この空間を選択した人のセンスがワカンナイ。
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2006年01月14日

指輪ホテル「CANDIES work in progress final」

せっかくみせて貰ったんだから忘れないうちに何か書いとこ。
というのも,印象が薄いっ。だけど嫌な感じもなかったということで後味は案外悪くはない。

白玉さんともうひとり,ふたりで背中を見せて坐っている時間。少しは歳いった人(指輪だから女性)の身体はそれ自身見ていておもしろい。これが一番よかった。グリーナウェイの『建築家の腹』をちょっと思い出した。衣装も悪くない。

「ベビーフード」最終公演の前夜祭(?)にテントで演ってくれたときはひとつのショウだった。「愛と革命の乙女」だったっけ。フォルムがあり,見せ所はわかってるように見えた。
なんつってもアホらしい。アホらしさは計算されたもので,芸無しの「乙女」がアホらしさによって突き抜けていこうという感じも…ちょびっとだけどちゃんとあったと思う。
あのテイストはどこにいっちゃったのかなぁ。それともあれはただのフリなのかな。
≫続きを読む
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2006年01月07日

春日町あんだあぐらうんど劇場

仙台の。
今日だったんだが。
行けずっ。
オレもここまでか…。無念。
タグ:
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2006年01月01日

未知座小劇場『大阪物語』

michiza2005.jpg帰っていく物語は無いんだと台詞で繰り返される。そのことと関連するんだろうけど,世界構築は貫徹されない。
ふたりの役者の「ちゃんとしている」ことに感心。その役者によって世界が構築されようとすると,とたんに,ただちに,そしてたびたびはぐらかされたりカットアウトされる。その兆しのうちに芽を摘んでいく,その往還のリズムが小刻み。要はその世界構築と破壊の往還こそがこの芝居だと。
≫続きを読む
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2005年12月25日

西瓜solo@仙台10BOX

to_sendai.jpg第一のパートは、まっすぐに前を見つめ、まっすぐにこちらに向かって歩いてくる。
重い空気をおすように手を横に広げ、胸を張り。
歩みはゆっくりと、時には速く、しっかりと、時には不安定に。
決意と躊躇、自信と不安、恐怖と安堵、傲慢と謙遜、悦楽、悲哀、栄光、苦渋、希望や絶望やきっぱりやぐずぐず。さまざまな感情が一瞬ごとに交錯する。≫続きを読む
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2005年12月17日

山下残ダンス公演「船乗りたち」

タイトルが↑。キャッチコピーが「揺れる舞台でダンス。旅を夢想する四人の男たちは今,船に乗る。」!
見るっきゃない 手(グー)(笑)と息巻いて横浜までおでかけ。≫残念な続きを読む
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2005年12月05日

未知座小劇場「大阪物語」

はじまったらしいですな。
http://dokungo.seesaa.net/article/10188409.html
に時折君がちょっと書いてます。
楽しみだぁ。
わたしはクリスマスイブ(千秋楽)に大阪で見る予定。
タグ:未知座
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2005年11月21日

がむしテラス/平原演劇祭プロデュース

miyashiro_onair.jpg

和風レトロは別にして…。
若い身体から発して演劇を構成していこうという路線は多分別のところでやってるんだろうな,とは思う。この公演はそれとは違うアプローチなんだろう。
だとするならば…,

≫続きを読む
posted by doino at 03:40| 埼玉 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 観劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月27日

イキウメ『散歩する侵略者』

おもしろかったなぁ。
設定は,大友克洋「宇宙パトロール・シゲマ」みたいだけど,そのタッチには職人的な上手さと人の弱さや痛みをよく知ってる丁寧さがある。漫画のたとえだと谷口ジローかな。(漫画としての新しさはこれといって感じないんだけど,けっこう好き。)谷口ジローとかいわれて本人たちが嬉しがるかは?だが。
アートとしてよかったのか,エンタメとしてよかったのかと考えると,やっぱエンタメかな。けど,かなり上質のエンタメだったと思うよ。
It's COOL !
役者たちはみんな上手いね〜。感心感心。ギャグな設定の上で,こんだけきっちり演り,きっちり魅せられるのはご立派。
役者が上手いことはこの芝居にとって,とても重要なことだったろう。
タグ:イキウメ
posted by doino at 18:26| 埼玉 ☁| Comment(7) | TrackBack(0) | 観劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月26日

桟敷童子『風来坊雷神屋敷』

わたしだって演劇を見に行って「なんだこりゃ,演劇じゃん」と文句を言うつもりはない。わたしたちのやっている(やりつつある)芝居の流儀と大きく違うからという理由で受入れないのでもない。
しかしこりゃあまりに「演劇でしかない」。演劇を突き抜けようとする気迫がない。志があまりにも低い。
…ていうか,
この芝居って,民芸と,青年座とどう違うのか,わたしには分からない。(「アングラじゃない」という自意識のある演劇が「新劇でしかない」ことはままあることだ。)
たぶんこれを演劇として批評しようとしたら,アングラのやった「新劇批判」をまた一から繰り返さなくてはならない。
人生は短い。
≫ 続きを読む
posted by doino at 02:53| 埼玉 ☁| Comment(2) | TrackBack(1) | 観劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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