2011年09月28日

宝塚歌劇

宝塚をキイにしたら何か起きないか(by康子ママ)

たとえば台本
ご都合主義的な話の運びを盗めないか。

たとえばタイトル
ど真ん中<ベルサイユのばら>というのはどうか。
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2011年09月09日

ちくわ式演劇製造法

芯にさまざまなネタをくっつけて成形し、熱を加えて固める。
固まったら芯を抜く。
ネタの「つき具合」の中にかつての芯の面影がある。
ちくわとは周囲のネタとともに、ネタの根拠であった芯、かつて芯であった空洞を味わうものだ。
芯とは物語である。

「犬」以前、「人形」以前、チェーホフや近松を軸(芯)としてちくわ式で芝居を作っていた。
…と思ってきた。
が、改めて考えると、ちょっと違う気がしてくる。

事実として、物語のもつクライマックスや大きな展開点をシーンとして芝居で(舞台で)やってきた、ということがある。
これはちくわ式の主旨からいうとオカシイ。
物語を解釈し、その解釈にもとづいて物語の要約(芯)をいったん作り、それに再度肉付けしていく。
だが、その要約、極限まで肉をそぎ落とした物語の骨格それ自身は(読解の好きな観客であれば)読み解ける、というところにミソがあった。と思う。
これはやはりちくわ式の主旨からいうとオカシイ。

ちくわ式とは物語をテコに、あるショーを、見えるものとしては直接物語を想起させない演しものの連続を作り出す方法論ではなかったのか。
わたしたちがかついてやってきたことはむしろ強度ある物語世界の創出だったのではないか??

posted by doino at 15:00| Comment(0) | 注釈 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月12日

自主稽古11-02-11

けん
「冷静になるんです」Deluxeで時折のやった台詞を大幅に削ったもの。音=クラシックいいね。お手軽世界構築。現状一人芝居として展開しているせいもあって「皆さん」の相手がどこにいるのか気になる。もし他の役者が板の上にいたらどうありうるかを考えたり。みんな座っている,というのもしばらくやってないなぁとか。「この形」がどこのどの形なのか不明。立ち姿,堂に入っている感じ。小道具は再考。
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posted by doino at 13:59| Comment(0) | 注釈 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月07日

11-02-07

LAST BURLESQUE / last burlesque:最後の喜劇?バーレスク
LAST SUPPER / last supper:最後の晩餐
last train:最終列車
last flight:最終便(フライト)
final answer
final chapter:最終章

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vital show
vital spark:(音楽・小説・劇などの)生き生きとした力.

vital sign(s):生命徴候
vital statistics:1 人口動態統計 2 死亡証明書 3(女性の)スリーサイズ
--
a / the は可変。lastでもfinalでも a がいいな。
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2011年02月04日

自主稽古 その2

2B
@「海でーす」。何かの練習。<コーチにダンスを見てもらっている> Dはコーチ役ということになるが,Dはしゃべれないから役者は「聞こえた芝居」をせざるをえず,ちょっと苦しいか。
A「親権問題」。犬のおもちゃ。小さくかわいい。電池でキャンキャン言う。役者の足にまとわりつく姿はネタとしてはおもしろい。おもちゃが最後何か別のものとしてではなく,おもちゃそのものとして扱われるのは不満。かわいいだけにそれとの関わりがもっと欲しくなる。そしてそれをふくらませていけばDとの関係が焦点化しなくなる(気もする)。
B「くわしい方いらっしゃいますか」。客への無茶振り得意なのかも?
C「いいよ」。ていねいな物言いが他の演しものと分けている。肩車。Dが上になるときよりもDに肩車される時の方が面白い。しっくりくる。と健太の指摘。それにつけてもややDが(リアル重量的に)軽いかも。「そうだね」という最後のセリフ,未消化ではある。きちんとしたテキストが欲しくなる。
D「なんで捨てちゃうんだよ。まだ使える」。言う相手が正面でいいはず。どう使えるのか,詳しく知りたい。
E「柔軟指導」。実際には前にやったダンスの一部を指導。おもしろい。Dが「できない」ばかりよりは「そこそこできてる」「そこがいい」「あとここを直したらもっとよくなる」「ここができないのはこういう理由だ」的な専門家風ウンチクが欲しい。指導者自らやってみせるのも悪くない。Dを持ってくるところ,もって帰るところ,再考の余地がある。
※全体に(Cを除いて)人物やDの「大きさ」が均一,等身大であることがある停滞感を持たせる。もっと大きなものとして自らの身体を作ることもできるだろう。前回おばあちゃんはキャラが捉えられているぶん,大きさを獲得していたと思う。仮面をつけて演技するとき,身体の(演者にとっての)大きさが変化するはずだ,と西瓜さんが言っていたっけ。そういえばボートシアターで仮面をかぶった時もそんな感じ。(全知全能のではない)神になるイメージ。キャラを太く強く作ることと仮面を被ることは似ている。
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posted by doino at 21:59| Comment(0) | 注釈 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月12日

構成注 2

いまあるシーンを並べて仮に通しをしてみる。2時間オーバーは変わらず。それでも前回よりは10分近くは短くなっているのだが…。
これは性根をすえてカット!する必要がある。うう…。
ダンスは今回の芝居ではウリなのだが、いままでとは一風変わった感じ。
これをいままで通りラストに置けるのか、という疑念を強めた。
その他の構成も全然納得いかない。
流れを寸断するのは、別の何かが増幅していく、別の流れを生むための仕掛けであるはずだが、まだその何かが見えてこない。
前回の構成を自己参照している自分がいる。
しょうがないことなのだが、そこにかまけてばかりではこの山場は乗り切れない。
まだ何の自信も持てない。
もう何回か、試作してみる必要がある。
posted by doino at 03:38| 鹿児島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 注釈 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月09日

構成注 1

・犬とは何だ。獣。ペット。あるいは人。生きているもの。生きていたもの。死んでいくもの。死んでいるもの。たぶん「他者」。
それは視線をもっている。対象である前に…視線,と気づくとまたちょっと違ってくるか。観客に似ているな。さしあたり,観客といっしょ見ていてもらおう。
・生と死にきちんと向き合うということ,僕らは本当にヘタクソだ。やれてない。そういえばどくんごの舞台には死のにおいが希薄だ,と西瓜さんに言われたことがあった。少なくとも死は「使う」ものじゃない。見返されるものだ。…それでも今回ちょっと前進か。人のおもさ人形から犬に変身して全10年。あまりにちょっとの前進。まだよくわからない。
・大きなフレームは見せ物小屋。これ,毎度のように言っているけど十全にできたという手応えはない。見せ物小屋の空間的な胆はその暗さ,光量の少なさ(裸電球)にあると思う。暗闇が残ってる劇場。だが,実際にやってみると個人的な好みの問題として息苦しくなってしまって全部見せちゃえ的な方向にいつのまにか軌道修正,ということを繰り返しているかも。暗闇と全部見せちゃえ。折衷ではなくクロスする地点が案外身近にある予感はするのだが…。さしあたり見せ物小屋フレームを再確認。「夏」縛りもなくなったことだし。
・前回からテントの幅がでかくなって空間が広がっている。光量も増し,外へと向かうベクトルも強くなってる。その流れをそのまま増幅していくと,単なる「のびのびした」ショウの空間になっていっちゃうな。要注意。天幕も下げるか…?
posted by doino at 07:04| 鹿児島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 注釈 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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