2007年06月13日

「出入自由」な感覚を打破する --松本のためにその1

旬ちゃんによる下見報告
行ってみたことで少しイメージがわいてきた。
所謂教室みたいなところでやれって言われたらどうしよう,お客さんを10人くらいづつの小分けにしてもらって極小スペースで何ステージもやるとか…というのも考えていたんだけど,おあつらえ向きの「ホール」(という名の中心的たまり場)があってそこでやるのが現実的。できるだけテントに近い形で,ということになりそう。天幕もつけよーか,どうしようか。
けっこう小綺麗な建物,スペースなので葦簀(よしずと読むのだよ)とかブルーシート,トタンなんかを持ち込めば異物として立ち上げられるだろう。

この公演は自由参加の「芸術鑑賞会」だ。生徒さんはもちろん観劇無料となる。
この場合,まずは「出入自由」な感覚を打破することがすべての出発点,前提だ。
いずれ「退屈」「耐える」あるいは「引く」時間を含み込む表現を構想する場合,なんらかの方法でお客をそこに(一時的にイヤイヤであろうと)縛り付けておく必要がある。それを共有してもらってこその次の一手,というのが最近のぼくらの芝居ではキイのひとつになっている。
木戸銭を取るのはそれを可能にする有効な手だてだ。たとえわずかでも木戸銭を取ることで「元を取らなきゃ」感覚が出てくるのか,お客さんの耐性がアップする(笑)。経験的に最悪だったのは子供無料でかつ地域の子供連れ目当ての場合で,近所の友達とつるんで集団化した子供らは夜のテント劇場というワクワクする空間で芝居そっちのけでテント内外で大声をあげて遊びはじめる。いったんこうなったらもう回復のしようがない。
そこまで極端ではないにしても,アメリカ映画やバラエティ番組の次から次へ「しかし驚くのはまだ早い」(最悪なナレーションだ)的にあおってくる表現を日々浴びつづけている多くのこの国の住人,「出入自由」を印象づけてしまってはふと退屈だと感じた瞬間にチャンネルを変えるようにとっとと席を立ちかねない。「座ったからには最後までつきあうしかないようだ」と思わせる仕掛けが欲しい。
無料であってもバリッとしたチケットを作りそれを劇場まで持ってこさせる,受付で何かを渡す(パンフのたぐい?飲食物?)とかあるいは名簿を書かせるとか,「試しに立ち寄っている」のではなく「参加することになった」ことが意識化されること。木戸銭は取らないにしても木戸は設けて「ここからのみ出入できる」ことが意識化されること。客席が混んでいる,出入の通路などがあまり整備されていないことなどで本番中の出入が前提されていないことが印象付くこと。
…くらいか。芝居の冒頭,客へ「最後まで」の語彙を含んだ面切り挨拶を入れてみるのもいいか。
ラベル:ネタ 劇空間 受付
posted by doino at 01:56| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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