2011/09/09(5)15:00 | 注釈

ちくわ式演劇製造法

芯にさまざまなネタをくっつけて成形し、熱を加えて固める。
固まったら芯を抜く。
ネタの「つき具合」の中にかつての芯の面影がある。
ちくわとは周囲のネタとともに、ネタの根拠であった芯、かつて芯であった空洞を味わうものだ。
芯とは物語である。

「犬」以前、「人形」以前、チェーホフや近松を軸(芯)としてちくわ式で芝居を作っていた。
…と思ってきた。
が、改めて考えると、ちょっと違う気がしてくる。

事実として、物語のもつクライマックスや大きな展開点をシーンとして芝居で(舞台で)やってきた、ということがある。
これはちくわ式の主旨からいうとオカシイ。
物語を解釈し、その解釈にもとづいて物語の要約(芯)をいったん作り、それに再度肉付けしていく。
だが、その要約、極限まで肉をそぎ落とした物語の骨格それ自身は(読解の好きな観客であれば)読み解ける、というところにミソがあった。と思う。
これはやはりちくわ式の主旨からいうとオカシイ。

ちくわ式とは物語をテコに、あるショーを、見えるものとしては直接物語を想起させない演しものの連続を作り出す方法論ではなかったのか。
わたしたちがかついてやってきたことはむしろ強度ある物語世界の創出だったのではないか??

2011/09/28(3)09:01 | 注釈

宝塚歌劇

宝塚をキイにしたら何か起きないか(by康子ママ)

たとえば台本
ご都合主義的な話の運びを盗めないか。

たとえばタイトル
ど真ん中<ベルサイユのばら>というのはどうか。