2010/07/20(2)03:17 | 観劇

鳥王覚書

「出番前の人々」は白とベージュのコットン風合いの衣裳で統一されている。これは世界定めである。世界はおおむね無印良品である。


「ナチュラルな」。きわだった印象を作らない。役者や観客の日常から離れない。「演劇以前」をいったん成立させる。結果,無印良品的衣裳が選択される。


このこと自身の困難。百人いれば百個の別の日常があるという面ではなく,共通項に依存しているからだ。それは表現を構成する者,観客や役者を選別せざるをえない。「多くの人」「大多数」の感受性の共通を前提にしているからだ。

そこから多少違った感受性を持ったものはこの表現にノれない。たとえば無印的なファッションに違和感や不快感をもつ者には。彼らは表現者にはなれないのはもちろん,観客としても表現を感受することができない。「演劇以前」に,いわば表現の現場からはじかれている。

(そして,無印ファッションをナチュラルと感じる者が多数派だと言いうるのか。もちろん良品計画はそれを目指しているのだが。)


ナチュラルなファッションはありうるのかを問うことは,ナチュラルな人間とは何かを問うことだろう。人間関係なしに人間はないとするのなら,ナチュラルな社会生活,ナチュラルな人間関係というものを仮想していることにもなる。

それは壮大な,しかしありきたりな嘘ではないのか。
ラベル:観劇 茶番