2019年03月29日

香水(どいの版)テキスト

kousui.pngここには昔、もっといろいろなものがあふれていた。透き通ったものや、いい匂いのするものや、ひらひらしたものや、つやつやしたもの……。
でもここでは、それを心にとどめておくことができない。この島に住んでいると、心の中のものを一つずつなくしていくんだよ。
それは痛くも苦しくもない。朝ベッドの中で目を覚ましたら、じっと耳をすませて、空気の流れ方を感じ取ってごらん。その日はどこかきのうと違うんだ。だから、その朝が来たら自分が何をなくしたのか、島から何が消え去ったのか、君にも分かるよ。
何かがなくなると、しばらく島はざわつく。みんな通りのあちらこちらに集まって、なくしてしまったものの思い出話をする。
香水が消えてしまったのは、ある年の秋だった。みんな自分の香水を持って川のほとりに集まった。でも香りを感じ取れる人は誰もいなくなっていた。みんなで瓶の蓋を開けて、中身を川に流した。それから二、三日、川はむせるほどに匂った。魚もいくらか死んだ。でも気に止める人はいなかった。みんなすぐにまた、元通りの毎日を取り戻す。何をなくしたのかさえ、もう思い出せなくなる。
もうすぐ、君にとっての最初の何かをなくすその日が、やってくる。
(2019-03-31改)
(2019-04-10改)
posted by doino at 15:19| Comment(0) | 2019覚書 | 更新情報をチェックする

宣材その後

その後紆余曲折を経て作られた宣材は、当初よりはかなりよくなった。
。。。一般的にそう言えるかどうかはわからない。
わたしにとってはよくなった。
デザイン的な空虚さが減り、表現としての力づよさが戻った。
当初よりはかなり。
ラベル:デザイン
posted by doino at 00:48| Comment(0) | 2019覚書 | 更新情報をチェックする

小川洋子「密やかな結晶」冒頭抜粋

「あなたが生まれるずっと昔、ここにはもっといろいろなものがあふれていたのよ。透き通ったものや、いい匂いのするものや、ひらひらしたものや、つやつやしたもの……。とにかく、あなたが思いもつかないような、素敵なものたちよ」
「でも悲しいことにこの島の人たちは、そういう素敵なものをいつまでも長く、心にとどめておくことができないの。島に住んでいる限り、心の中のものを順番に一つずつ、なくしていかなければならないの。たぶんもうすぐ、あなたにとっての最初の何かをなくす時が、やってくるはずよ」
「いいえ。大丈夫。痛くも苦しくもないからね。朝ベッドの中で目を開けたら、知らないうちにもう終わっているわ。じっと目を閉じて、耳をすませて、朝の空気の流れ方を感じ取ってごらんなさい。どこかきのうと違うはずよ。そうしたら、自分が何をなくしたのか、島から何が消え去ったのか、あなたにも分かるわ」
「消滅が起こるとしばらくは、島はざわつくわ。みんな通りのあちらこちらに集まって、なくしてしまったものの思い出話をするの。懐かしがったり、寂しがったり、慰め合ったり。もしもそれが形のあるものだったら、みんなで持ち寄って、燃やしたり、土に埋めたり、川に流したりもするの。でも、そんなちょっとしたざわめきも、二、三日でおさまるわ。みんなすぐにまた、元通りの毎日を取り戻すの。何をなくしたのかさえ、もう思い出せなくなるのよ」
「香水が消えてしまったのは、父さんと結婚した年の秋だった。みんな自分の香水を持って川のほとりに集まったわ。瓶の蓋を開けて、中身を川に流したの。最後、名残惜しそうに瓶を鼻に近づけている人も何人かいたわ。でももう、その香りを感じ取れる人は誰もいなかった。香水にまつわる思い出も、全部消えてなくなっていた。それは役立たずの、ただの水に成り下がってしまったの。それから二、三日、川はむせるほどに匂ったわ。魚もいくらか死んだ。でも気に止める人はいなかった。だってみんな、心の中から香りをなくしてしまったんですもの」
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・この国で「島」と言えばもう、日本列島の比喩と決まってる。
・昔は美しいものがたくさんあったが、それが順次失われていく。近代によって? 戦後によって? 西欧化によって? とりあえずこのフレーム自身、あまり好きではないかも。
・そして語り手の母。なぜ彼女だけが香りを失わないのか。エリート、天才性、マレビト? 大衆蔑視? とりあえず胡散臭い感じがぷんぷんするが、実はまだこの小説の先に秘密が隠されているのかも。
いずれにせよ、これをネタに小さいシーンを作る。
posted by doino at 00:15| Comment(0) | 2019覚書 | 更新情報をチェックする

2019年03月14日

対象をイメージする(推敲なし)

結局、ぼくらの表現のある一面だけを捉えていて、それ以外を捉えておらず総合力に欠けると思えるからではないのか、という仮説はあやしい。
いままで、そのことを気にして宣材デザインを考えてきたわけではない。もっとも、気にするも何も結局は舞台を作るのも宣材を作るのも本人(わたし)のセンスでしかあり得なかっただけ、という話もある。だが、も少し自分が宣材を作るときに、意識的無意識的に何を大事にしてきたかということを考えてみる。それは、「総合的に自分たちの表現を捉えたい」ということとは違うのではないか。
思いつくのは、宣材は誰に向かっているのかということがある。誰に訴えたいのか、誰の琴線に触れようとしているのか。
例えばだ、幼稚園にこのチラシは貼れるのか、という問い。幼稚園児にウケたい。のかもしれない。
幼稚園に貼るためには、親や保育士の目を盗む必要がある。実際に非合法に貼るという意味ではなく、親や保育士には無害に見えることが必要だ。そして、幼稚園児には「悪い影響」を及ぼす。幼稚園児にだけ読み解ける暗号で書かれた挑発の文書たり得たい。
幼稚園児でなくてももちろんいい。毎日をいじめにあってどのように行きていけばいいのかわからない、死への誘惑に苛まれる一人の少年でもいい。その彼が街に貼ってあるぼくらのフライヤーを見て、同じ気持ちを分かるものがいることに気づき少しだけ気持ちが楽になる、とか?

もちろんそれは妄想なのだが。
誰に向かって訴求力を発動させようとイメージするか、ということ。そのイメージの有る無し。
posted by doino at 21:20| Comment(0) | 2019覚書 | 更新情報をチェックする

中間ではない(推敲なし)

結局、ぼくらの表現のある一面だけを捉えていて、それ以外を捉えておらず総合力に欠けると思えるからではないのか、といったん考える。
だが、ではいままでの宣材が自分たちの表現を「全面的に」あるいは「総合的に」捉えていたのかということを考えると、それはそれで悩ましい話ではある。
今回フライヤーの表裏が著しく違ったテイストになっていて、それはそれぞれ依頼した人が違うから、ということによっている。表はいわゆるアングラっぽく、表はいわゆるポップぽい。違う方を向いている表裏のチラシ。この両者のベクトルの違うテイストの総合の中にぼくらの表現はあるのか。総合、というのは曖昧な表現だ。言い換えるなら、ぼくらの表現をある面から見たらアングラに見え、ある面から見たらポップに見える、ということなのか。そうであるなら、このフライヤーの出来はさほど悪くはないのかもしれない。
だがそれも違う気がする。両者の「中間」にある? そんな馬鹿な。上の謂を用いるなら、「どの面から見てもアングラでもポップでもない別のものであろうとしている」という方が実感は近い。そもそもアングラとポップって真逆を向いてるわけでもないし、アングラだとかポップだとかそんな言葉で今どき表現を作れるわけないじゃん。だとすれば表も裏も間違っている? 間違った捉えをふたつ並べてもみっつ並べても正解にはならない。。。いやいや、アングラだとかポップだとか名指しているのはわたし自身だけどな!
もっとも「見える」というのは外部の者にだけ言えることであり、もとより内部の論理とは別のものなのであるからして、「見える」以上それはそれで仕方がない、ということにもなる。
つまり外部の者の視線によって作った宣材? うーん。それはそれでアリなのか? アリかもしれない。。。
posted by doino at 19:24| Comment(0) | 2019覚書 | 更新情報をチェックする

2019年03月13日

宣材を外注してみた

今年、知る限りもっとも信頼できそうなデザイナー&イラストレーターさんに宣材を発注してみた。
率直にいえば、うまくいったとは思えない。ものすごく悪いわけではないのだが、期待したほどはよくない。
自分の美意識だけでやっていたのではもう限界、他者の視点を導入しなければということだった。
他者の美意識を完全に理解するのは無理なのはわかってる、理解できなことのなかに意味がある、それはわかってる。
それにしても、という感じを拭えない。
どのように自分の意に沿わないのか、と考えてる。
posted by doino at 09:55| Comment(0) | 2019覚書 | 更新情報をチェックする

体調はいまひとつ

pain.jpgまぁ大きな時間枠でいけば、順調ということにもなるんだが、今現在は体調はいまひとつ。
リミッターを超えて食すると、とたんに気持ちが悪くなる。そう、炭酸飲料をたくさん一気に飲んで「げっぷ」が出るまでの膨満感の辛さ、に似てる。実際そこで「げっぷ」出れば多少は楽になることもあり、それにかかわらずそのまま嘔吐することもある。
そのリミッターの働く数値が落ちている。以前は半人前くらいは食べられたのが、今は1/3人前くらいでリミッターが発動する。
普通でも過食と嘔吐を繰り返していれば胃は疲れてくる。たぶん今はそんな感じで胃が疲れている。休ませないと。
ラベル:健康
posted by doino at 09:43| Comment(0) | 日々のこと | 更新情報をチェックする

2019年03月03日

痛みについて【病院残酷物語④】

なんで病院というのは痛みについて耐えさせるのか。
痛みとは本来、体の変調を知らせてくれるサインである。だが人は痛みが過大になればそれから逃避する目的で命を断つこともある。これは本来の痛みの機能からしたら本末転倒である。
看護師は「我慢する必要はありません、痛かったらいつでも言ってくださいね(ニコッ)」ってよく言う。だけど、そう言ったからといって痛かったときにきちんと対応してくれるかどうかは別問題だ。そりゃ「言うのを」我慢する必要はなかろうよ。言論の自由の問題じゃねーんだよ。
以前、私は別の癌を患ったことがある。治療は抗がん剤治療で治療のための手術はしていないのだが、その癌の原発部位を調べるために二度開腹している。
その一度は腹部リンパ節に転移したがん細胞を直接それなりの量を取る(そして組織をよく調べる)といういわゆる「開腹生検」だった。検査か治療かということは痛みとは関係がない。検査手術でも開腹の痛みは全く変わらない。
手術を受けて病室に帰され、強烈な痛みで目が覚めた。これを読んでいる人の中で「強烈な痛み」というのを経験したことがあるのはいったい何割くらいなんだろう? 強烈な痛みとは、先に書いたようにそれを避けるためなら死をもいとわない、そういう痛みである。
そんな「殺せ、殺してくれ!」と叫び出さんばかりの痛みで目が覚めたら母親がいて
「こんな病気になったんだからゆっくり休めばいいよ」
と言ったんだ。≫続きを読む
posted by doino at 08:12| Comment(0) | 日々のこと | 更新情報をチェックする